先月、福島県の相馬農業高校から本校に手紙が届いた。2学期末に本校を訪れた4名の生徒からの、交流会の開催や相倉合掌集落の案内に対するお礼の手紙だった。そこには、それぞれ直筆の文字で感謝の気持ちが綴られていた。考えてみると、最近、自分で手紙を書くことも、誰かから手紙を貰うこともほとんど無くなってしまった。世の中にパソコンやスマートフォンが普及して、誰でも簡単にメールやSNSでのやりとりができるようになり、人々は手紙というものを書かなくなってしまったのかも知れない。

 手紙で思い出したが、私は小学生の時、『小学5年生』という雑誌に「僕と文通(手紙のやりとり)をしませんか」という投書をしたのがきっかけで、全国からたくさんの手紙が届き、その中の一人と長らく「文通」を続けた経験がある。相手は確か、兵庫県に住む同学年の女の子だった。お互い逢ったことも、直接話をしたこともなく、ただ手紙のやりとりを続けていたが、ある時、お互いの写真を送りあい、初めて相手がどんな顔をしているのか分かり何だかとても嬉しかった覚えがある。

 手紙を書き、切手を貼ってポストに入れ、相手からの返事を楽しみに待つという感覚は、スマホ時代の今の高校生には想像できないかも知れない。学校から帰ると、よく家の郵便受けを覗いては一喜一憂したことも懐かしい。当時、「不幸の手紙」というものも流行しており、同じ文面を1週間以内に5人に送らなければあなたに不幸が訪れるという脅迫めいた手紙(葉書)が届くこともあった(今で言う「チェーンメール」のようなものか)。

 昔も今も、「手紙」は誰かに何らかの想いを伝えるものだと思う。かつて『カナダからの手紙』『あの人の手紙』『置き手紙』などの曲が流行った時期があり、『手紙~拝啓十五の君へ~』も一時期よく耳にした。最近では、手嶌葵の『明日への手紙』やback numberの『手紙』なんかを聴いて、優しい気持ちに浸ることが多くなった。普段は面と向かって言えないこと、心から伝えたい気持ちを表すには、手紙に勝るものはない、と私は勝手に思っている。